バブル景気と生活バブル景気と生活

プラザ合意の後、円高による不況を心配した政府は、金利緩和を打ち出しました。金利が下がることによってお金を借りる人が増え、流通も増えます。使い道がなく持て余したお金はどのように消費されていったのでしょうか。カネ余り時代と呼ばれたバブル時代の日常風景を紹介します。

消費者の意識はどのように変わったのか?

  • バブル前…自己主張が強く、目立ちたい・人と違ったことがしたいという考え。
  • バブル期…経済成長に乗り遅れないように、と贅沢をした時代。
  • バブル後…内面や自分の生き方を意識する考え。ストレスによる癒しを求める。

バブルと雇用

バブルを迎えたときの就職活動は、面接に行けば簡単に就職できたといわれています。面接に行くだけで交通費や自社製品をもらうことができて、内定もいくつかもらった中で「どこにしようかな?」と選ぶことができました。学生たちには大手の会社に人気が集まりました。会社側は人材を確保するために、社内研修という名目で旅行に行かせてまで、学生たちをつなぎとめようとしました。残業はなく、毎日遊びに出かけることができました。お給料は毎月昇給、最初のボーナスは何百万という会社も普通にあって、今では信じられませんよね。

バブルとファッション

ブランド志向

1980年代前半のファッションは高級志向になり、全身をブランド品で固めることも珍しくありませんでした。どのブランド品を身につけるかによって自己主張をしていたんですね。女性ならピンキー&ダイアンやロペ、男性ファッションではワイズやコム・デ・ギャルソンなどが代表的です。これまでお嬢様ファッションが流行だった中、全身黒づくめのファッションが注目され、カラス族という名前がつきました。

ワンレンボディコン

1987年、「ワンレンボディコン」という言葉が流行になりました。前髪から後ろ髪までが同じ長さになるようにカットした「ワンレン=ワンレングス」という髪型に、体のラインを強調した「ボディコン=ボディコンシャス」な服装がお決まりのようになっていました。派手な印象のあるファッションですが、ワンレングスでショート丈になると、お嬢様カットと呼ばれていました。当時では浅野温子、最近では仲間由紀恵が代表的です。ボディコンは当時のドラマを見ると流行だったのがよくわかります。アフターファイブのファッションというわけではなく、昼間でも普通に見られるファッションだったんですね。歌手なら森高千里や中森明菜が代表的です。

渋カジ

1980年代後半〜1990年代にかけて、これまでの派手なファッションの反動からか、ポロシャツやジーンズ、ブレザーといったシンプルで渋いカジュアル、渋カジ(渋谷カジュアル説もあり)が目立つようになりました。品の良いファッションを親から受け継がれた経済的に豊かな世代で、さっぱりとした服装で遊びに出歩くのが流行になりました。

バブルと車

モータースポーツ人気の影響もあってか、都心ではポルシェ・ジャガー・シーマなど高級車が走っていることが日常的になっていました。高級車が人気だった背景には、高級志向によるところと、マイホームの夢をあきらめた人たちが消費活動に走ったという理由があります。バブル崩壊後はこれらの車を維持していくのが難しくなり、手放す人が多くなりました。これによって、中古車市場が大暴落して、海外市場へ引き取られるということもありました。

バブルと食

外食産業

外食産業の始まりは、大阪万博のときに出店していたレストランやファーストフードが注目されたことにありました。1970年代は高度成長期にあたり、レストランやファーストフード店といったチェーン店が全国展開し、外食産業では人手不足になりました。バブル景気になって、おいしいものを食べることの関心はより高くなり、グルメブームという言葉が誕生しました。このときは感謝して食べるとか、おいしく食べるということよりも味の追求が強かったので、グルメという言葉がひとり歩きしていました。グルメブームのおかげで「美味しんぼ」や「ミスター味っ子」などの漫画がテレビ化までされ、実際にはそこまでこだわらない、というところまで描かれていたのを憶えています。

中食、家庭の食事

また、中食という、お弁当やお惣菜の分野も発展し、コンビニエンスストアやスーパーの現在に至ります。ほかにはイタ飯(イタリア料理)やエスニック料理が人気になりました。家でもこのような外食で食べたものを家庭でも作りたいという希望により、料理の本にはイタ飯やエスニック料理が多く紹介されるようになりました。景気が良いときは外で食べることが多くなり、景気が悪いときには家で食べるようになる、といわれています。

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