1980年代後半、各国でドルの大幅な下落を予想していたにもかかわらず、なぜ日本はバブル崩壊を迎えたのでしょうか。バブル崩壊とはどのような状態なのか、日本の対応やその後の政策について検証したいと思います。

バブル発生

ルーブル合意

1987年、アメリカの景気は良くなっていたのですが、日本はアメリカがたくさん買ってくれるおかげで貿易黒字、アメリカは1540億ドルという貿易赤字の状態でした。アメリカの債務額は3682億にもなっていました。1月に西ドイツが、2月に日本が公定歩合を引き下げました。2月22日、ルーブル宮殿でG7諸国(日・米・独・仏・英・伊・加)が集まり、140〜160円に安定させる、ルーブル合意が取り交わされました。9月にはアメリカで公定歩合を引き上げ、10月14日の貿易収支額の発表で156億ドルの黒字を記録しました。これにより、各国で金利引き上げを検討しました。ドルの大幅な下落は、世界的な危険性があったのです。プラザ合意ではドルを下げることが目的でしたが、これ以上下がっても困るのです。

ブラックマンデー

しかし1987年10月19日、ニューヨーク株式市場が1日で−508ドル(−22.6%)下がるという、過去最大の下落に見舞われました。これによって世界中の株式市場が急落し、日本でも10月20日に−3.836円(−14.9%)下落しました。世界全体の損失は1.4兆ドルともいわれています。想像もつかない金額ですよね。この日が月曜日だったので、ブラックマンデーといわれています。このころから一部では、日本の経済を危ぶむ声が持ち上がっていました。1988年6月には西ドイツが公定歩合を引き上げたのですが、日本も本来なら引き上げなければなりません。しかしアメリカからの批判を受けていたため、1年遅れて1989年5月に引き上げをしました。もしこれがもっと早く引き上げられていれば、投機熱はもっと早くに収まり、はじけるバブルも小さく済んだといえます。

バブル崩壊と、その後

バブル景気を迎え、不況から立ち直るにはとても長い時間がかかりました。日本はバブル崩壊から何を学んでいったのでしょうか。

なぜバブルは崩壊したのか
バブル崩壊となった要因とそのときどんなことが起きたのかについて紹介。
バブル崩壊後
バブル崩壊後、日本はどのような政策を出してきたのでしょうか。今後の課題についてもまとめてみました。
copyright 2007 バブル崩壊RHAPSODY, all rights reserved.